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201909.17

子どもは未来。十分な設備もないアジアの途上国で、25年間無償で医療活動を続ける理由

日本では高齢化が社会課題となっていますが、一方で、同じアジアの国々には満足に医療を受けられず、大人になる前に亡くなってしまう子どもも多くいます。

そんな子どもたちを減らすべく、無償で医療を提供しているのが、特定非営利活動法人ジャパンハートです。
ジャパンハートでボランティアとして活動する医師や看護師にはどのような思いがあるのか、活動を通じて世界に伝えたいことは何なのか。

ジャパンハートの創設者で、最高顧問を務める小児外科医の吉岡秀人先生にお聞きしました。

貧困層の子どもたちに医療を届ける

―まず、団体の概要と活動内容をお聞かせください。

―吉岡
ジャパンハートは2004年に設立し、今年でちょうど15年になります。活動内容はさまざまですが、僕らが最も大切にする活動は、貧困層の子どもに医療を届けることです。

ジャパンハートは、団体の最高顧問を務める小児外科医の吉岡先生が設立。
吉岡先生は1995年にミャンマーでの医療活動を始め、ご自身は小児外科を専門としながらも、大人も子どもも関係なく無償で治療を行ってきました。

その活動はジャパンハートにも引き継がれており、ジャパンハートにたどり着きさえすれば無償で治療が受けられる、いわば貧しいミャンマー人の最後の防波堤となっています。
また、医療活動はミャンマーのほか、カンボジアやラオス、日本の僻地・離島でも行われています。

―吉岡
医療活動以外にも、ミャンマーでは、視覚障がい者の自立支援事業としてマッサージの技術を教える学校を設立したり、貧困層の子どもを集めて育て、教育する養育施設「Dream Train」を設立したりと、社会福祉事業も行っています。
また、日本では「SmileSmilePROJECT」と題して、がんの子どもたちとその家族の外出や旅行に医療者が付き添う活動を行っています。

がんの子どもたちが外に遊びに行くには、医療者の付き添いが必要です。
しかし、病院に勤務している医療者は現場を離れられず、付き添うことができません。
そこで「SmileSmilePROJECT」では、ボランティアの医療者が付き添うことで、子どもたちと家族の思い出づくりをサポートしています。

―吉岡
昨年は、のべ789名の医療者や学生、社会人が、海外での活動に参加しました。
医師や看護師など医療者の参加の理由はさまざまですが、今の日本の医療は労働環境を改善しようと物事をシステマティックに回しているために、患者と医療者との人間的なつながりが希薄になっている。
患者からの信頼や期待、評価を受け取る機会が減れば、医療者も働くことに疲れてしまいます。
そこで、何のために医療者を目指したのか、医療者になって何をしたかったのかをもう一度確認したいと参加する人も多くいるんです。

そのほか、十分な設備が整っていない環境で医療活動を行うことにより、医療者としての技術力を高めたいという理由で参加する人もいるそう。
ジャパンハートの活動は貧困層の子どもを救うだけでなく、医療者にとっては日本の現場を離れることによって、医療に対する思いや技術を見つめ直す機会にもなっているのですね。

子どものころ目にした光景が、医師を目指す動機に

―そもそも吉岡先生は、なぜミャンマーで医療活動を始めたのでしょうか。

―吉岡
それは、僕が医者になった理由にまで遡ります。
僕は、大阪は吹田の生まれなのですが、子どものころ、最寄り駅の地下道では戦争で手足を失った傷痍軍人が物乞いをしていました。
中国では文化大革命が起こって数千万人が餓死し、ベトナムではアメリカ軍がベトナム戦争で枯葉剤を撒き、カンボジアではポルポトが国民の4分の1を虐殺していた。わずかな時間のずれと、飛行機でわずか数時間の空間のずれが人の運命を左右している。そう思うと、この時空のこの場所に生まれたのは幸運以外の何物でもないなと感じたんです。

そして、「時代背景のせいで辛い思いをしている人の役に立ちたい」という思いを持ち、医師を目指した吉岡先生。
医療を受けられない人たちのもとにいつでも行けるよう準備をしながら日本の医療現場で働いていたあるとき「ミャンマーの子どもたちを助けてくれる医師を探している人たちがいる」と声が掛かったといいます。

―吉岡
その人たちは、第二次世界大戦の際、ミャンマーで命を落とした何万人もの日本人の遺族の方々でした。
多くの日本人が命を落とした一方、生きて日本に帰った人もいた。それは、ミャンマーの人々が傷ついた日本兵を介保し、水や食料を恵んでくれたからなんです。

戦後、遺族会の人たちはミャンマーに行って慰霊を続けていましたが、徐々に年齢を重ね、現地に行くことが難しくなってきた。その際に、新しい慰霊の形として、「過去にたくさんの日本人の命を救ってくれたミャンマーの方への恩返し」として、命を落としている多くのミャンマーの子どもたちを救うことを考えたんです。

そして、ちょうど戦後50年目の1995年に吉岡先生はミャンマーへ。それから25年間ずっと、遺族会からの寄付は続いています。
そういった経緯もあり、吉岡先生の中でミャンマーでの医療活動は、未だに慰霊の感覚なのだそう。

子どもは未来だ

―ジャパンハートの活動を通じて、世の中に伝えたいことは何ですか。

―吉岡
子どもは未来だ、可能性だとよく言われています。本当に子どもこそが未来だと思うのなら、こういった活動に参加してほしいと思っています。

カンボジアに病院を設立したとき、世の中の人が本当に「子どもが未来だ」と思うのならこの病院は寄付だけで回るはずだ、世界の善意を信用してみようと思ったそう。

同じことは、ミャンマーで設立した貧困層の子どもたちを預かって育てる養育施設「Dream Train」にも言えます。しかし、養育施設には多くの子どもたちが生活をしているため、簡単に閉鎖できません。一度預かった子どもたちを放り出すことはできません。

―吉岡
もし寄付が集まらなければ、自分が働きますよ。だって、自分の子どもを見捨てないでしょう。一度引き取ったからには、見捨てることはありません。そこまでの気持ちでやらなければ、できないんですよ。

一見、誰かのための活動を何年もやり続けているように思えることもありますが、その理由は、意外にも「自分のためにやっている」というものでした。

―吉岡
彼らは大変な状況にある人たちかもしれないけれど、医療活動は彼らに頼まれたわけではなく、僕がずけずけと出ていって彼らの治療をしているだけで、彼らは僕のところに来てくれている人たち。彼らは僕に、自分がこの世に存在する価値を与えてくれているんです。それが自分の幸せになっているから、続けることができるんです。

より多くの子どもを救える環境に

―今後の活動の展望をお聞かせください。

―吉岡
短期的には、カンボジアの病院をもう少し大きくしたいと思っています。
また、ミャンマーやラオス、カンボジアだけでなく、中国やフィリピン、インドネシア、インドでも多くの子どもたちが命を落としています。そういったところからも子どもたちを受け入れ、たどり着きさえすれば無償で医療が受けられるような病院をつくりたいと考えています。

その次には、日本にも子どもの病院をつくりたいと吉岡先生。

現在、日本には公立の小児病院しかないことから、小児病院で腕を磨いてきたベテランの医師は、まだまだ働けるにもかかわらず、定年を迎えたら退職せざるを得ません。
そこで私立病院をつくり、そういった人たちを長く働けるようにすることで、社会により多くの還元ができるようにしたいのだそうです。
また、同時にそこでは、アジアの貧困層の子どもたちも無償で受け入れることも考えています。

「どれくらいの時間がかかるかは分からないけど」と言いながらも、貧困層の子どもたちのことだけでなく、日本の小児医療の将来もしっかりと考えておられることが取材を通して伝わってきました。

吉岡先生、お忙しいなかありがとうございました。


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